そんなこんなで、父からもたらされたPC98と次兄が手に入れたPCエンジンで、当時的にはかなり充実したゲームライフを送っていた僕なんですが、そのあたりの時期に僕の、そして日本中のオタクの生き方に大きな転換期をもたらす大事件が起こります。 「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」と後に称されるその事件は、1988年から1989年頃に起こった一連の事件で、犯人である宮崎勤の人物像をめぐって各メディアが「犯人はおたくだった」という報道を繰り返したことで全国的にオタクコミュニティへのヘイトが高まった時期がありました。 「おたくは現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、明確な規範意識の欠落が犯罪に及んだなどとされ、当時の代表的な報道番組で有ったニュースステーションでは実物大の宮崎勤の部屋をスタジオ内で再現して過剰報道した。」 ( Wikipediaより引用 )ということで、日本全体でまっすぐなまでにオタクをバッシングする空気が醸成されてしまったため、元々大手を振って趣味の話をすることができなかったアニメ愛好家等は完全な日陰者として扱われ、コミュニティも世間の目を隠れるように活動せざるを得なくなっていきます。 「沖縄オタククロニクル」にもあったとおり、当時は大人になっても子供の頃のおもちゃや子供向けだと認知されていたアニメ等に入れあげる人たちを「おたく族」と括っていたところに起こった事件なので、みんなまとめて「犯罪者予備軍」という目を向けられてしまうようになってしまいました。多分今の30歳前後くらいまでの人は体感したことがないでしょうが、いやマジでオタクとオタク趣味は「犯罪の入口」くらいまで貶められたことがあったんですよねえ。 あまりに情報と物量に乏しくて日常的に飢えており、ちょっとの情報や物資に群がっていく沖縄のオタクは、おそらく関東圏のような都会よりも悪目立ちしてしまっており、この事件をきっかけに一気に肩身の狭い思いをすることになりました。学校でもメジャーな漫画等の話は出来ても、本当に好きなものがオタクっぽいものだと口にすることが憚られるような雰囲気はあって、そのため学校内でそういう友達を見つけることがさらに困難になりました。ただでさえ生きにくいのに、好きなものを堂々と好きと言えないのは本当に辛いものです。 僕もあの当時、ゲームのことばかり考えていた僕に向...