僕のオタク・サブカル思い出(5)

  僕は一応オタクだという自認なんですけど、実際のところはオタクっていうほどのめりこんだものって意外に無くて、しかも今僕の活動の中心は音楽の方なので、他の人に自分のパーソナリティを説明するときは「オタクの生き方で趣味趣向はサブカル」という風に表現しています。というわけでここからは僕と音楽について。

 うちの母は僕の幼少の頃からチャゲ&飛鳥(CHAGE and ASKA、以下チャゲアス)の大ファンでした。そのため母と出かける際の車内のBGMは高確率で「スーパーベスト」でした。一応説明すると、チャゲアスは1979年に「ひとり咲き」でデビュー、80年に「万里の河」がヒットし、その後レコード会社を移籍して「モーニングムーン」をリリース、以降の活躍はご存じの通りというお二人。で、86年くらいまでの曲で編成されたベスト盤が「スーパーベスト」なんですが、世間的には後年リリースされた「SUPER BEST 2」の方が有名ですね。
 スーパーベストの方には先に挙げた3曲のほか「マリオネット」など渋い曲も収録されており、僕のお気に入りは「男と女」でした。あの飛鳥のねっとりと歌い上げるバラードは何度聴いても胸を打たれますなあ・・・。
 また、母は実家に併設された美容室を経営しており、そこで契約していたUSENを自宅側にも引っ張ってきて家の中でも聴けるようにしていました。おかげで僕は日中の家の中は何かしら音楽が流れているという環境で育ちました。サビ部分しか覚えてないけど「すごい男の唄」めちゃくちゃ聴いた記憶。

 父は当時のおじさん趣味の代表格である「ゴルフ」「カメラ」「車・バイク」「オーディオ」を網羅したおじさんofおじさんであり、特にオーディオ関連についてはそれ専用の部屋を設けるほどにハマっていた時期がありました。カウンターキッチンくらいあるクソでかいスピーカーにこれ幾らかかったのか訊くのも怖いほどの量のアンプ等々が積まれており、大体月一くらいで友人を招いてコーヒーを飲みながらジャズのLPを聴くみたいなことをやってた時期がありました。おかげで僕もクラシックやジャズは聴く気はなくても耳に入ってくるという環境にあったのです。まあ後年何かの役に立ったかといわれるとアレなんですけど・・・。

 そんなわけで音楽を聴く環境には事欠かなかった環境に居て、僕が最初に自発的に音楽を聴くようになったきっかけは「シティーハンター」でした。そうです、あのTM Network(以下TM)伝説の名曲「Get Wild」ですね。皆さんご存じの通り、アニメの最後の方に止め絵があってイントロがフェードインしてくるあの演出にハートを撃ち抜かれてしまい、以降僕は94年のプロジェクト終了まで追いかけ続けることになります。元々ゲーム大好きで電子音に抵抗感が無かった僕は、TMを聴くことで電子音楽への憧れを強くしていきます。
 TMは当時のオタクに多大な影響を与えたバンドの一つだと言っていいのではないでしょうか。「Get Wild」はもちろん、ミニアルバム「Twinkle Night」はOVA版吸血鬼ハンターDの主題歌「Your Song」が収録されてますし、最近ジークアクスでも流れて話題になった「Beyond the time」が収録されているアルバム「CAROL」は、アルバム全体を通すストーリーボードを元に小説が書かれ、それを元にしたOVAもリリースされてます(キャラクター原案は高河ゆんでした) あとサポートメンバーに後のB'zの松本孝弘、ACCESSからTM Revolutionとなる浅倉大介が居たことでも有名ですね。もちろんオタクなので「Thousand Wave」(松本孝弘がリリースしたソロアルバム1枚目)のライナーノーツでToysとか書いてるの見てニコニコしたり、ディーヴァのサントラ買って「このとき若干20歳ってマジかよ」とか思いながら聴いてましたね。

 それともうひとつ、僕がダンスミュージックにハマったきっかけが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で展開された企画「ダンス甲子園」でした。
 ダンス甲子園は、全国の高校生によるダンスユニットを募集し各地区で予選会を行い、最終的に本選を行っていくという”体”で、実際にはその中の花形ダンスユニットL.L.BROTHERSを売り出すための仕掛けとして機能していたというものでした。
 が、見てる僕としてはそういうのはあんまり興味がなくて、とにかく彼らがチョイスした曲がえらいカッコいいことに感動したのを覚えています。日テレ系列の放送局が無い沖縄では元気が出るテレビが夜中に放送されていたため、いつも録画したものを翌日次兄と一緒に見ていたんですが、そこで聞いた「Now that be found love」(HeavyD & the Boyz)はめちゃくちゃお気に入りの曲になりました。ブラックミュージックというより、当時人気だったニュージャックスウィングが多かったのかな。また聴き直したいなあ。Go for itとかすごい好きだった。CDやLPが欲しくても海外ミュージシャンだと情報が乏しく、探し出すまでには至らなかったんで、録画したテープを何度も何度も巻き戻して聴き直してましたねー。
 兄はこれをきっかけにブラックミュージックにハマることになり、僕はその恩恵を受けてC+C Music FactoryやMarky Mark and the Funky Bunchなどを聴いたりしてました。兄の方はどっちかというとヒップホップ方向に行き、RUN DMCとか50セントとか聴いてたんですけど、僕はTMのリミックスベストアルバム「DRESS」におけるハウスアレンジの影響を真正面から浴びたことにより、ハウスの方向に逸れてBLACK BOXとか聴くようになっていきます。

 それ以外だと、CDプレイヤーが低価格になってきて僕ら兄弟でも気軽に聞ける体制が出来てからは米米CLUBとかゴーバンズとかユニコーンとか渡辺美里とか・・・あれ、なんか今思い返すと不自然なくらいソニーの人多いな。当時のソニーのアレンジっていい音を追求しまくった結果すごいタイトな音のものが多かった気がしますね。父自慢の我が家のオーディオルームは多少防音処理もされていたので、その部屋でこれらのCDを聴くと綺麗にノイズのない音の時間があって妙な緊張感を覚えたものです。
 この時期に、兄が「面白い曲がある」といって持ち込んできたのが「サーカス団パノラマ島へ帰る」(筋肉少女帯)なんですが、僕が「元祖高木ブー伝説」以外にハマるのはもうちょっとあとの中学生時代でした。でもこのころには「日本印度化計画」がチェリオのCMに起用されてたりしたんだよねえ。


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