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僕のオタク・サブカル思い出(9)

  1991年、中学校に上がっても真面目に授業を受け続けたものの、数学に完全についていけなくなり、徐々に成績が悪くなっていきます。相変わらずゲームは好きでしたが、特に友達が増えるでもなく、1年生のときはぼんやり過ごすだけでした。  中学時代の最初のトピックは「初めて音楽のライブを観に行く」でした。偶然TMNのEXPOツアーとB'zのIN THE LIFEツアーのそれぞれ最終日のチケットをゲットすることが出来たのです。TMNはずっと追いかけていたので念願の初ライブ参加、しかも初めての音楽ライブだったのでめちゃくちゃテンション高かったんですが、B'zは一応手元に「RISKY」と「IN THE LIFE」はあったもののそこまでハマってはおらず、まあ曲は好きだしとりあえず観てみるかーというノリでした。  まず、TMNのEXPOツアーは1994年のTMNプロジェクト終了宣言前に行われた最後のツアーでした(しかもこの記事書くために改めて確認したら、ツアーの後に行われた特別編成のライブだったようです) 公演開始のアナウンスのあとに突然大音量のシンセを浴びせかけられ、「Crazy for you」の「ステージの上からサインを送るよ」のセリフのくだりにかぶせるようにソファーに座った宇都宮隆がせり上がりで登場したところで完全に心が持っていかれましたね・・・いやあカッコよかった。  当然全部通して最高だったんですけど、印象的だったのは途中のフォークパビリオンのコーナーで演奏されたアコギのみの「さよならの準備」と、そのコーナー終わりあたりで「浅倉大介がそろそろ自分のユニットでデビューするんです」というアナウンスでしたね(それが後のACCESSでした。デビューシングルのMVでショルダーキーボード持って演奏する姿に感動したなあ)  それ以降、TMNは活動がかなり少なくなってしまい、小室哲哉はYOSHIKIと日本一病弱なバンドと自称したV2やtrfのプロデュースなどでは見かけるものの、1年に1枚シングルが出るかなあという状態が続きます(そんで94年の終了宣言につながります)  一方でB'zの方は全然期待しないまま観に行ったんですけど、これがもう素晴らしいのなんの。ツアー最終日でコンベンション劇場の2階席から観ていたんですけど、全体を通して途切れることのない圧倒的なパフォー...

僕のオタク・サブカル思い出(小学生編の書き洩らし補足編)

  小・中・高・大人以降でブロックに分けて書こうと思ったのに後で思い出したやつが結構あったので、そういう細かい話を拾い上げていく記事です。小学生編で書くの忘れてたけどくっつけるほどでもないなあという話題をまとめています。

僕のオタク・サブカル思い出(8)

  オタクバッシングが真っ盛りの89年頃から、僕は兄の影響で深夜ラジオ番組を聴き始めます。沖縄での僕の同世代で当時人気だった番組といえば・・・当時ラジオ聴いてた!っていう人だいたい10人くらいに何聴いてた?って質問すると、みんなROKの「へのへのうしし」の方を挙げるんですけど、僕はRBCの「ラジオジャック」の方だったんですよねえ。

僕のオタク・サブカル思い出(7)

  そんなこんなで、父からもたらされたPC98と次兄が手に入れたPCエンジンで、当時的にはかなり充実したゲームライフを送っていた僕なんですが、そのあたりの時期に僕の、そして日本中のオタクの生き方に大きな転換期をもたらす大事件が起こります。  「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」と後に称されるその事件は、1988年から1989年頃に起こった一連の事件で、犯人である宮崎勤の人物像をめぐって各メディアが「犯人はおたくだった」という報道を繰り返したことで全国的にオタクコミュニティへのヘイトが高まった時期がありました。   「おたくは現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、明確な規範意識の欠落が犯罪に及んだなどとされ、当時の代表的な報道番組で有ったニュースステーションでは実物大の宮崎勤の部屋をスタジオ内で再現して過剰報道した。」 ( Wikipediaより引用 )ということで、日本全体でまっすぐなまでにオタクをバッシングする空気が醸成されてしまったため、元々大手を振って趣味の話をすることができなかったアニメ愛好家等は完全な日陰者として扱われ、コミュニティも世間の目を隠れるように活動せざるを得なくなっていきます。  「沖縄オタククロニクル」にもあったとおり、当時は大人になっても子供の頃のおもちゃや子供向けだと認知されていたアニメ等に入れあげる人たちを「おたく族」と括っていたところに起こった事件なので、みんなまとめて「犯罪者予備軍」という目を向けられてしまうようになってしまいました。多分今の30歳前後くらいまでの人は体感したことがないでしょうが、いやマジでオタクとオタク趣味は「犯罪の入口」くらいまで貶められたことがあったんですよねえ。  あまりに情報と物量に乏しくて日常的に飢えており、ちょっとの情報や物資に群がっていく沖縄のオタクは、おそらく関東圏のような都会よりも悪目立ちしてしまっており、この事件をきっかけに一気に肩身の狭い思いをすることになりました。学校でもメジャーな漫画等の話は出来ても、本当に好きなものがオタクっぽいものだと口にすることが憚られるような雰囲気はあって、そのため学校内でそういう友達を見つけることがさらに困難になりました。ただでさえ生きにくいのに、好きなものを堂々と好きと言えないのは本当に辛いものです。  僕もあの当時、ゲームのことばかり考えていた僕に向...

僕のオタク・サブカル思い出(6)

  僕は小学校4年生くらいまでは、単に小太りで運動が嫌いな小生意気という程度の何も取り柄のない完全なモブという風体でしたし、全国でも平均以下の学力しかない沖縄においてトップクラスに学力の低い地域でしたので、年齢が二桁に届くまではその見た目でイジられ倒す役になってました。

僕のオタク・サブカル思い出(5)

  僕は一応オタクだという自認なんですけど、実際のところはオタクっていうほどのめりこんだものって意外に無くて、しかも今僕の活動の中心は音楽の方なので、他の人に自分のパーソナリティを説明するときは「オタクの生き方で趣味趣向はサブカル」という風に表現しています。というわけでここからは僕と音楽について。

僕のオタク・サブカル思い出(4)

  6歳の頃にファミコンが我が家にやって来て以降、僕は家でゲーム三昧の日々を送るわけですが、じゃあゲームは家でだけやってたのかというとそんなわけはなく、あの当時はインベーダーハウスからのゲームセンター文化がどんどん広がっていった時期だったので、僕も出掛け先ではまっさきにゲームコーナーへ向かっていったものでした。というわけでここでは僕が小学生まで(~90年くらい)あたりの記憶を書いてみます。