僕自身はオタクとして、そしてサブカル好きとして、かなり恵まれた人生を歩んでいるという実感はあるんですが、そこからちょっと引いて「沖縄のオタクってこの40年くらいどうやって活動してたの?」について、僕自身の実感で振り返ってみます。 僕よりも一つ上の世代である神野オキナさんの著書「沖縄オタククロニクル」に感化されてこのシリーズをずっと書き続けているんですが、神野さんは自身の人生を「とにかく情報と物資に飢えている時代だった」と振り返られています。 現在のように大概のエンタメがネットで得られる時代と異なり、40年くらい前は情報が入ってくるのがかなり遅い(週刊誌は3~4日、月刊誌は7~10日、テレビ番組は2~3か月遅れが当たり前)という状況でした。アニメ雑誌には知らない作品もたくさん載っており、その半分くらいは沖縄では放送される予定が無いということもザラでした。とはいえ僕はあんまりテレビ見てなかったので、それを歯噛みしながら享受するっていうほどでもなかったかなあ。結構早い段階からあきらめちゃってたというのはあるかも。 逆にゲームは発売日に手に入る環境がかなり早い段階からあったんで案外不満感は無かった、ということもあるのかな。意外にゲームはわりと優遇されているというか、体験型のもの以外は実は他の地方より充実してるかもしれないっていうくらい沢山入ってきてましたね。 小学生のときに直撃したオタクバッシングの波は、正直無視できないほどに大きかったように思います。目に見えて嫌われていたのは数年程度だったけど、その数年の間に「蔑視してもいい存在」という風にされてしまったのが辛かったな。 僕が学生の頃もやはりオタクは日陰者で、僕も見た目も相まってイジられ対象ではありました。ただ僕の場合ハマってたのがゲームの方だったので、そっちで気持ちを共有できるクラスメイトが一定数いたおかげで少人数グループで難を逃れられてました。 また、勉強はそんなに出来ないけど基本的には真面目に過ごしてたのと、父に職場の人のいるとこ(=大人がたくさんいるとこ)へ連れまわされていたので、年上に対するいかにも優等生的な立ち回りは身に着けており、そのおかげで先生ウケは良く、それで目をかけてもらってたのでヤンチャなのが近寄りにくい環境になってたので、目に見えて迫害されるようなことも少なかったのは良かった...