僕のオタク・サブカル思い出(36)
2001年、僕はようやく定職に就けることになり、長かったモラトリアム期を抜け出すことに成功しました(まあしばらくめちゃくちゃ給料安かったんですが・・・)
達名やNEXT秘密基地があった頃のように大勢で集まって遊ぶっていう機会はほとんどなくなってしまいましたが、この頃には携帯電話も標準装備だし、だいたいみんなオンラインにいるので会えてなくても近況がわかるくらいには近くにいるねっていう感じ。
また、来兎さんが2001年の10月くらいに上京するということになり「じゃあ今度の冬コミは東京行くんで泊めてね~」などと厚かましいお願いをしつつお見送りをしたのに、ひと月もしないうちに沖縄にいたときと変わらない距離感でMSN Messengerでやりとりしてたってくらいでしたね。
なお、その年の冬はボーナスを丸々突っ込んで実際に初めてのコミケ参加を果たし、その足で秋葉原に行って中古のCDJを2台買い、そのまま当時は千葉に住んでいた来兎さんのアパートに転がり込んで年越しするなど活動は多岐にわたっていました(しかも当時仲良くしてたテキストサイトの人もお呼びして3人で正月中雑魚寝してた)
さて2002年。僕はメインのウェブサイトを移転させ、でもそこでも相変わらず日記は書き散らすわ掲示板でグダグダやってるわであんまり変わらない日々を送っていたんですが、軽い気持ちで掲示板だったかに「CDJ買って練習してるんで、いつか人前でDJできたらいいなあ」などと書いてたら「じゃあうちでやりませんか?」というレスポンスが。
詳しくお話を聞くと、その方が主催しているパーティーの次回開催でゲストDJの枠があるので出演しませんかとの事。場所はなんと東京都目黒区自由が丘! その後なんやかんやあって、理解が追いつく前に東京でのDJデビューが決定してしまいました。
その時の旅行記がまるまる当時の日記として残されているので久しぶりに読み返してみました。そうそう、2002年7月12日に東京行きなのに、当日日本は3つの台風が襲来しており、しかもそのうち一つは沖縄の真上に来ていたのでした。とはいえ強風域のみで熱帯低気圧に変わりかけていたので飛行機はフライトを決行、なんとか無事に東京にたどり着くことができました(帰りの日も台風が襲来していたけどなんとか予定通り帰れた) 初日はゲーセンを巡りつつ、上京して以降初めて会う来兎さんにGLOVE ON FIGHTのサントラ用リミックスのデータをお渡ししつつお喋りしてたんですが、半年以上開いてるのにMessengerでの会話の延長で喋れたので「やっぱりネットって偉大だな・・・」と実感したものです。
7月13日がデビュー当日。現地に行く前にネット上のみでしか会話したことなかった方とお会いしたり、秋葉原のCLUB SEGAでクラッキンDJpart2をプレイして血豆を潰しつつ、自由が丘のCLUB BASEへ。そこで主催のヤスオさん(当時は別名義でした)と初対面。現地の入り口横のフライヤーに同日開催で「オーバーガイル」のフライヤーを見て大興奮してたなあ。
午後5時にイベント開始。僕はガッチガチに緊張していましたが、僕の前のDJが僕の大好きな曲を流してくれたおかげで緊張もいい感じにほぐれ、かけたい曲をちゃんとプレイすることができました。その時使った曲はたしか自作曲中心でしたけど、初めて自分の曲がクラブで流れたときは感動しましたねえ。
ちなみになんですが、DJ機材というと僕らの世代が思い浮かべるのがレコードを使ったキュッキュやるやつだと思うんですけど、いわゆるアナログのターンテーブルは当時でもまだ主流で、1994年に登場したCDを使用してDJできる「CDJ」は都会のクラブにはあるけど一般的というほどではありませんでした。98年当時のクラブカルチャー雑誌「GROOVE」では、普及のためのイベントが開かれてたという記事が載ったりしてましたね。現在ではCDJはすっかり当たり前になっていますが、どちらかといえばUSBメモリを挿してプレイするほうが主流になりつつあります。
この日のDJも僕は自分の曲をCD-Rに焼いて持ち込んでDJしていました。DJをやったことがない人にとっては「CDで出来ると便利だね」程度かな?と思われそうなんですが、僕のような自作曲を作ってた人からすると「レコードにプレスせずともCD-Rに焼けばDJで使える」という環境が90年代末頃に出来上がっていたわけです。プロでなくとも自分の曲でDJが出来るようになったので、元々クラブ界隈に居た人以外の例えば同人音楽の世界に居た人でもDJ参入できるようになったというのは、実はターニングポイントと言っていいのではないかと思います。
パソコン通信からインターネットに移行し、人と関わる範囲が増えたことで起こった出会いもめちゃくちゃたくさんありましたし、それを通じていろんな機会に恵まれたなあと思います。このあとも現在に至るまで色んな機会をいただいていますが、それはまた別のお話。
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