僕のオタク・サブカル思い出(8)
オタクバッシングが真っ盛りの89年頃から、僕は兄の影響で深夜ラジオ番組を聴き始めます。沖縄での僕の同世代で当時人気だった番組といえば・・・当時ラジオ聴いてた!っていう人だいたい10人くらいに何聴いてた?って質問すると、みんなROKの「へのへのうしし」の方を挙げるんですけど、僕はRBCの「ラジオジャック」の方だったんですよねえ。
ラジオジャックは1985年~1993年にRBCラジオの22時台に放送されていたローカル深夜ラジオ番組です。柳卓がパーソナリティで人気だった「ご存知!深夜大学」、箕田和男らがパーソナリティを務めた「ナイト・ヤング・メイツ」の後番組として始まり、主にRBCのアナウンサーがパーソナリティを務めていました。
僕が聴いてた頃は月・火が箕田和男(みのかず)、水が玉城美智子、木が橋本邦彦→富原志乃、金が比嘉京子の時代でした。僕は同時間帯にやってた「へのへのうしし」の方のノリにどうもなじめなくて、アニメの話題とかが多かったこっちの方を中心に聞いてました。懐かしい・・・っていうかこれ読んでる人付いて来られているだろうか。
「沖縄オタククロニクル」では水曜日担当の玉城アナがアニメに対し理解を深めてくれたとの記述があるんですけど、この頃は確か木曜日の橋本アナのとこでアニメ三本勝負っていうコーナーやってて盛り上がってた記憶があります(そんで当時はシュラトの打ち切りですごい熱量のハガキが来てたとかいう話があったような)
箕田アナはオリジナル曲「ピエロの恋」と「セプテンバーレイン」を持ち曲にしていたのが印象的でしたが(セプテンバーレインが良い曲なんだよなあ)、僕が主に聞いていたのは木曜と金曜でした。比嘉京子アナと、アシスタントから木曜メインに昇格した冨原アナの軽快なしゃべりとノリが好きだったなあ。冨原アナの木曜には映画のコーナーにハガキを送ったことがあって、読まれた人を対象に抽選で当たるCDシングルプレゼントでTMNの「Love Train」を頂いたこともありました。あれは嬉しかったなあ。
その頃テレビでは「ギミア・ぶれいく」(大橋巨泉がメインの司会を務めた大人向けのバラエティ番組)が放送していた時期でもあり、番組内で放送されていたアニメ「笑ゥせぇるすまん」を観るかラジオジャックを最初から聴くかの二択を迫られる日もありましたねー。
で、たまたま学校でラジオの話になったときにクラスメイトに「俺もラジオジャック聴いてる!」という同好の士がいたので、このふたりでよくラジオの話で盛り上がっていたんですが、その流れで薦められたのが伝説のラジオ番組として名高い「コサキン」でした。
コサキンは言わずと知れた小堺一樹と関根勤のコンビによる、TBSラジオで1981年から2009年までのなんと28年間タイトル・曜日・時間を変えつつ続いていた番組で、僕が聴いていた当時は「コサキン無理矢理100%」というタイトルでした。放送時間は深夜1時、小学生高学年だった僕はこの時期祖父母と共に寝ていたんですが、枕元にラジカセを置いて祖父母とは反対の方向に寝転がって寝落ちするまでラジオジャックを聴き、水曜は根性で夜中1時に起きて再び寝落ちするまで聴くか、カセットの録音ボタンを押して寝るという生活をしていました。そりゃ身長伸びねえよ!
大体は前半部分が二人のフリートークで、芸能人の名前と話題が大量に出てくるので小学生には理解できない内容ばっかりだったんですが(ただ、番組内で連呼されていた「マグロ大好き西岡徳馬」は後年テレビで西岡徳馬を観たときに「あれか!」と爆笑した記憶があります)、「意味ねぇCD大作戦」がとても好きで聴いてましたね。北島三郎がつぶらな瞳の女の子みたいなノリがあったはず。
そんなわけで、学校でもギリギリオタクノリで喋れる友達ができ、なんとか無事に小学校を卒業することができました。そして中学校に入ってからは思春期を迎え、いろんな方向にこじらせかけていきます。
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