僕のオタク・サブカル思い出(3)

  1978年6月の販売開始以降、とんでもない勢いで売れ続け社会現象を巻き起こした日本最初の大ヒットゲームといえば「スペースインベーダー」。僕の生まれ年の歴史に刻まれたインベーダーブームですが、当然ながらブームの頃は乳児なんで体感することはできませんでした。
 僕が覚えている最初のインベーダー体験は、1980年に発売された「テレビベーダー」でした。ギリギリ記憶にあるんでおそらく4~5歳の頃には遊んでいたはずで、兄弟で交代しながら遊んだような記憶も無いんで多分兄が飽きちゃったものを僕が遊んでたっていうことなんではないかと思います。
 実家は最大四世代で暮らしており、母屋と隣の増設分があって結構な部屋数があり、テレビも4~5台あったので、そのうち一台につながっていたテレビベーダーを頻繁に遊んでいた記憶があります。居間の隣に曾祖母の部屋があって、その部屋のラジオから流れてくる八木 政男の「民謡で今日拝なびら」という声を聴きながらやってたなあ。
 もうひとつ、幼少の頃にめちゃくちゃハマってたのはLCDゲームの「スクランブル」でした。これの大元であるゲームがコナミのスクランブルだったということは大人になって初めて知ったくらい別物のゲームなんですけど、あの独特のフォルムとギラッとしたLCDの光、味わい深い音は今観てもワクワクしますねえ(YouTubeでプレイ動画が見られるので検索してみてね)

 まあそんな感じで生まれたころには手元になんかしらのデジタルゲームがあったわけなんですが、そんな我が家に次なる波がやってきたのは1984年のクリスマスのことです。
 家からちょっと離れたショッピングセンターで、両親と僕ら兄弟3人はクリスマスプレゼントを買うためにおもちゃコーナーを訪れました。僕は連れられて行っただけなのでそのときの様子はうっすらとしか覚えていないんですが、後年兄弟や親から聞いた話によると、そのとき狙っていたのはエポック社の「スーパーカセットビジョン」だったのにたまたま売り場に無かったため、代替品として「ファミリーコンピュータ」を買ったということでした(どうやら世間的には逆でファミコンが品薄なのに対してスーパーカセットビジョンが代替品として買われていたという話みたいですね)

 実家は家族で食事をする部屋は台所と繋がっており、それとは別に居間があったんですが、ファミコンが我が家に来て以降歴代ゲーム機は常に居間に接続されることになりました。そして兄弟3人がそれぞれ入れ替わりながらゲームを遊ぶことになるんですが、体を動かす方が好きな兄達は大体30分も遊べば満足して別の事をし始めるんで、あとは僕が延々とテレビ前を占拠して自由に遊べるようになってました。
 本体と一緒に買ったのはたしか「ドンキーコング」と「ポパイの英語教室」(後者が一応遊びだけじゃないんだよっていう感じを醸していて時代を感じますね) そこから1年くらいの間にちょこちょこと「F1レース」「ベースボール」「ゴルフ」「クルクルランド」「デビルワールド」「マリオブラザーズ」あたりが徐々に増えていき、じわじわとゲームライフが充実していったのでした。

 この当時は僕の意思でゲームを購入したことがなかったので、基本的には「新しいゲームがどこからか舞い込んでくる」という感覚で過ごしていたのですが、ある日我が家に「ファミリーベーシック」がやってきました。明らかに一回りほど上に長いカセットと意外に押し心地のいいキーボードは、今見るとおもちゃ感がありますが当時の僕には「高級品」という印象がありました。
 余談ですが、うちにファミリーベーシックが来て半年くらいした頃に、二つとなりに住んでいた従兄がふらっとやってきて、猛烈な勢いでプログラムを打ち込むという日が何日かありました。後にその従兄はIT系の技術者になったと聞いたときに「あれか!」となったこともありました。もしかしたらぴゅう太みたいな感覚で触ってみたかったのかな。

 僕が初めて自分の意思で買ってもらったゲームは、小学3年生時の誕生日プレゼントでリクエストした「魔界村」でした。ええもちろん、あまりに難しすぎて数週間で投げてしまいましたけど、自分のカセットだ!という感覚はやはり嬉しかったですねえ。
 そのくらいの時期になると隣町におもちゃのBANBANができたんで、おもちゃ等を買うときはそこに行くみたいな流れがあったんですが、僕にとっての憧れの店は当時国際通りにあった「トイマート」でした。あの頃には珍しくテレビCMをやってたゲーム専門店で、1階はファミコンを中心としたゲームソフト、2階はパソコンが所狭しと並んでいる夢のようなお店でしたね。那覇に遊びに行くときはファッションシティMAXY(元々は那覇タワーの駐車場棟だった、というのは「沖縄オタククロニクル」を読んで初めて知りました。だからあんな不思議な構造だったのね)の地下階にあるセガのゲーセンとトイマートに行くのが無上の喜びでした。

 ・・・ところで、当時の沖縄在住のオタクにしかピンと来ないかもしれないなーと思ったので「那覇近辺と中部近郊ってどのくらい違うの?」という話も書いておこうかな。
 まあ中部近郊でもある程度は不自由なく過ごせるんですが、漫画やゲームなどが買える店は北限がだいたい現在のうるま市みどり町くらい(おもちゃのBANBANがありました)、沖縄市のコザ十字路以南でようやくまとまった数の品ぞろえのお店が複数現れるという感じです(個人的印象です) 一応メジャーどころは揃えてくれてはいるんですが、いかんせんコーナー自体が狭いんで目当ての物が無いことも多く、ゲームが買えそうな店舗もそれぞれ車で15分くらいはかかる程度の距離なので、さすがに何度も「別とこ行きたい!」とは言えず結局我慢したり別のもので妥協したり。中部近郊でゲーム専門店が現れるのは平成に入ってからなので、当時ゲームショップと看板を掲げていたトイマートは自然と憧れの場所になっていくんですね。
 そのトイマートに行こうとすると、僕の住んでいる沖縄市からトイマートのある那覇市国際通りまでは片道1時間、交通費は往復で1,000円を超えてたと思います(小学生割引でも500円なんで結構キツい) 正直、思い立ったときに行動に移せるような場所ではなかったんで、お正月にお年玉を貰ったら親に「那覇に行きたい!」とお願いしておいてチャンスを待つというのが常でした。まあその那覇でも売ってないなんてよくある話だったんですけど・・・。

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