僕のオタク・サブカル思い出(33)
99年から2年間専門学校に通い情報処理の勉強をしつつ(その時の講師がCOBOLの人だったのは良かったけど「お前たちが卒業する頃に2000年問題があるからな、銀行系はCOBOL理解してないと何もできないんだからしっかりやれ!」っつっててダメだこりゃと思ったりしつつ)、コンビニでバイトとかしつつ、気が付くと卒業しちゃってました。後にそこで習得した技術と全然関係ないとこに就職するんですが、まああれはあれで楽しかったな。学校のPCに勝手にBM98入れてこっそり遊んでたりしたし。
在学中にインターン的なの行ったけど馴染めなくて社会的にダメ人間であることを痛感させられ、何も決まらないまま卒業し、とはいえ何にもしないわけにもいかないだろうということで、当時北谷町にあったPCショップにバイトとして潜り込むことになりました。
当時は空前のDOS/Vマシンブームで、インターネットやるなら自作マシン組むでしょ的な空気があった頃でした。同世代くらいのには「Celeronのオーバークロックがめっちゃ流行ってた時期」と言えば思い出せるあの時期ですね。当時のCeleron好きだったなあ、CPUがファミコンのカセットみたいに挿せたんですよ。
そして当時は北谷町にそういったPCショップが国道58号線沿いに大小合わせて4~5店舗あった時期でした。また沖縄市ではコザ高校近くからコリンザ1階にベスト電器コンピュータウンが移転したあたりだったと思います。あの当時、かそのさんが「沖縄PCホットライン」というサイトを運営しており、個人的趣味で各ショップを訪れパーツの値段比較表を掲載していて、自作PCを作るオタク達はほぼ全員そこにお世話になってたと思います。あれから25年、現存してるPCショップはGoodWillだけですねえ(元々はパソコン工房だった)
僕がお世話になってたショップは土地柄もあって外国人向け(というか米軍人向け)のお店で、店内表示も円とドルの併記になってました。実際お客さんも半数以上がアメリカ人で、僕は全く英語喋れないんで接客はいつもおっかなびっくり。社長は日本人でしたが渡米期間が長かったらしく当然のように英語ペラペラ。あと当時の副社長は「マンガに出てきそうな大陸の人」そのまんまの人でした(お金に厳しい以外はめちゃ良い人でしたよ)
配置された部署の先輩は5つ上のお姉さまで、英語バリバリで超快活な優しい人でした。内気な僕に配慮しつつ他の先輩や取引先の人にも繋いでくれたり、めっちゃ頼れる人だったなあ。僕はその先輩からいろいろ教わりつつ、商品の納入で県内をかけずりまわったりしてました。そんで仕事帰りにハイテクセガかドラゴンパレスに行ってゲームして帰るのがいつものルーティンでしたね。そういやそこでバイトしてたとき週6の8時間勤務だったな、今より全然仕事してんじゃん。
このショップとの関わりは実はバイトを始める半年くらい前からあって、前年の誕生日に思い切ってDOS/Vマシンを組んだ際、そのショップの技術の人に手伝ってもらっていたのでした。当時10万ちょいくらいでモニタ込みだったかな。そしてこのバイトでの初任給でSoudBlasterのサウンドボード(PCの前面にボリュームノブが出せるようになってるやつ)を買い、当時的に一番理想的な環境を完成させたのでした。ボード買う時に「バイトしてる店の商品買うの?」って笑われてたけど、これやるためにバイトしてたんだもん。
このショップでは3か月くらい働かせてもらいましたが、一緒に働いてた皆さんがとても優しくてありがたかったのと、特に先輩が面白い人で僕が辞めた後も飲みに誘ってくれ「今度コロッケのディナーショーあるんだけど一緒に行かない?」とパンチの効いたデートのお誘いもしてくれる人でした。今思うとあれは行っておいたほうが良かったなあ・・・。
そんなわけで99年から2000年あたりは、ついに作曲環境がPC98からDOS/Vへ完全移行した時期でした。このころの曲作りの環境とかインターネットでの配信の話とかを次にやろうかな。
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