僕のオタク・サブカル思い出(23)

  僕が中学から高校生の頃に聴いてた音楽とかの話から先に。

 MCハマーの大ブーム、そしてC+C music factoryの「Gonna make you sweat」(日本では「エブリバディ・ダンス・ナウ!」として有名)、あとはJames Brown is deadからのHolynoise→ロッテルダムテクノ、当時イタロ・ハウスの代名詞という感じで有名になってたBlack Boxなどなど、今の僕の基礎は大体1990年前後に固まってます。

 中学に入ってテクノというキーワードに出会ったあの時期は、ソニーがイギリスのテクノレーベルR&S RECORDSのCDを大量に国内版としてリリースしたり、電気グルーヴがラジオ内で曲の紹介をするほか「電気グルーヴのテクノ専門学校」というコンピレーションアルバムで海外の様々なスタイルのテクノを積極的に日本へ紹介していましたね。
 その一方で、現在では超大手レコード会社に成長したavexが89年あたりから海外のダンスミュージックを大量に日本へ持ち込み、ユーロビートやジュリアナ系などディスコのほうのダンスミュージックを展開していた時期でもありました。

 高校に入学してすぐのTMNのプロジェクト終了宣言後、僕はどんどんテクノへと傾倒していきました。元々大好きだったB'zなんですが、アルバム「the Loose」を経て「SURVIVE」をリリースした頃に「B'zはいついかなる時でもカッコいいことは間違いない。ということはしばらく追っかけて聴かなくても大丈夫!」という今思えばよくわからん理論で、以降「ACTION」のツアーに行くまでの10年ほどはB'zのCDを買わなくなります。

 僕がテクノのCDを買う場所は主に2つ、当時胡屋十字路のタイトーパセオの隣にあった「照屋レコード店」と、那覇市国際通りにあった「高良レコード店」です。そしてテクノ大好きな僕にとって都合がいいことに、どちらもアメリカ直輸入のCDが結構な量あって、特にケンイシイの「EXTRA」あたりの一連のシングルシリーズは日本盤と本国盤を選ぶことができるという大変ありがたい環境にありました。
 中央パークアベニューからすこし外れたところにあった中古レコード屋さんでは、おそらく嘉手納基地経由で沖縄に持ち込まれたであろう海外盤も沢山あったんですが、当時めちゃくちゃ人気のあったリッチー・ホウティンのPLUS8レーベルのレコードもふつうに500円とかで買えてたの、今思うと結構すごい環境だったな。

 96年の春くらいに高良レコード店で買ったテクノのコンピレーションアルバムに収録されていた「Donkey Rhubarb」、照屋レコード店で買ったシングル「On」「Ventolin」でAphex Twinがすごくお気に入りになったことと、以前から当時の僕のハンドルネームが往来では呼びにくい名前と周りから指摘されててハンドルネームの改名を考えていたので(ウィザードリィマガジンに載ってた渋谷洋一のエッセイ「Lv1000の忍者が死んだとき」の忍者の名前からとって「Zan-nin」というハンドルだった)、18歳の誕生日を機に音楽活動をするときの名前を変えよう!と決意。

 その時一番好きだったAphexTwinがR&S RECORDSでリリースした「Surfing On Sine Wave」で使用していた「Polygon Window」名義をもじりつつ、当時の発売日に深夜から行列が出来たことが報道されて話題になっていたWindows95に対して僕はまだMS-DOSのコマンドプロンプトから離れられないんだよなあという思いから、新しい名前を現在の名義である「polygon prompt」にすることにしました。そんなわけでこの名義はこの記事を書いてる30年前に生まれたものなのでした。デビュー曲と称してその年の誕生日にゆいNETで曲をアップロードしてます。
 せっかくなのでデビュー曲のmp3おいときます。フリーDLなのでよかったら聴いてね。

 polygon prompt 1.2.3.

 そしてその年のたしか秋頃だったと思うんですが、これまで制作した曲をまとめてアルバムを制作しました。といっても、どっかのレーベルと契約してるとかでもないので完全に自主制作だし、その頃はCD-Rもまだ一般的ではなかったのでカセットテープを自分でダビングしての頒布です。
 兄の使い古しのポータブルMDプレイヤーが録音機能付きだったので、SC-55mk2からLINE OUTでMDに接続して1曲ずつ録音、それをMDコンポにセットして片面4~5曲をカセットテープにダビングしてましたね。カセットのジャケットはPC98のフリーソフト「鮪ペイント」(はぁはぁ。くれー。でおなじみ、マルチペイントの前身)を使ってマウスで絵をかいてALPSのカラーリボンプリンターで印刷してカセットのケースに合うように切って・・・大丈夫?みんなついて来てる?50代でも判るかどうかのラインの話ですが。

 これを制作してじゃあどこで売るの?という話なんですけど、当時国際通りには「GET HAPPY RECORD」というショップがありまして、そこがインディーズも取り扱いしていたんですね。以前にそこで九州のインディーズのテクノのテープとか買ってたことがあり、そこに持ち込んで置かせていただいてました。コミュ障の僕が勇気を振り絞って震える手で店長に差し出した魂の1本がまあ1年経っても全然売れねえのなんの。長いこと在庫にさせてしまっていて申し訳ないことしちゃったなと今でも思います・・・と言いながら翌年CD-Rを置かせてもらってましたけど。なお、この時に置いたCD-Rから後に別の活動へとつながっていくことになるんですが、これはさらにあとの話。

 その年の冬に出会ったのがAphex Twinの「Girl/Boy EP」も思い出深い1枚です。産まれてすぐに亡くなったリチャード・D・ジェイムスの双子の兄の墓(とされるもの)の写真がジャケットのシングルですね(多分シングルは国内盤がない) 同じお店で買ってた「On」や「Ventolin」もすでにお気に入りだったので「新しいシングルじゃん」と思い事前情報なく聴いたんですが、表題曲でもある「Girl/Boy song」に思いっきり横っ面をはたかれた気分でした。
 優しいメロディとストリングスの伴奏とは対照的に嵐のように叩きつけられるブレイクビーツに衝撃をうけた僕は、これ以降「自分の機材でもブレイクビーツは作れるか?」と色んな実験を繰り返すようになります。また、この頃に「自分の曲は稚拙な部分が多いから、まずはいずれかのパートがカッコよく鳴らせるようにしよう。となると一番好きなリズムパートに力を入れていくぜ!」という方針を立てて音作りをしてたんですが、この経験が後に僕をハードミニマルへと誘うことになるのでした。

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