僕のオタク・サブカル思い出(22)

  僕が中学2年生の頃くらいから、ゲーム業界には「3Dグラフィック」という新しい波が押し寄せていました。1992年セガからリリースされた「バーチャレーシング」と、翌年登場した「バーチャファイター」によって、ゲーマーたちはゲームグラフィックの新時代がそこまで来ていることを実感していたのでした。
 特にバーチャファイター2は圧倒的なグラフィックの進化を見せ、そのプレイヤーたちの対戦の様子がテレビ等で紹介されるなど、ゲーマーだけでなくサブカル層にもファンを増やしていきます。
 その流れの中で、家庭用ゲーム機では任天堂のスーパーファミコン・セガのメガドライブ・NECのPCエンジンの3勢力世代だった時代を終わらせる次世代機「プレイステーション」(以降PS)「セガサターン」(以降SS)が1994年末に登場します。PSは当初「これまでゲームに触れたことのなかったライト層へのアプローチ」を展開し、逆にSSはゲーマー向けのソフトを大量に投下したことで住み分けが出来、1年半も後発になってしまった任天堂のNINTENDO64は最終的に売り上げで大きく差をつけられることになります(ただ、任天堂は同年発売したポケモンによって携帯ゲーム機の方でさらに一段階躍進します)

 そんな話はさておき、僕が中学生から高校生の間に(個人的には)ゲーム音楽業界でとんでもない革新的な作品が生まれています。
 まず、1992年に稼働開始したアーケードの縦STG「F/A」。いわゆるジュリアナ系の中でもかなりハードなタイプの音楽が採用され、しかもそのクオリティも一級品。アーケードアーカイブスで遊べるから全国民買え。
 その翌年はナムコのレースゲームの金字塔「リッジレーサー」が稼働開始します。F/Aの路線を継承するダンスミュージックは、この時点ですでに完成されたものになっていました。中でも「ROTTERDAM NATION」は、前年にベルギーで生まれたロッテルダムテクノというスタイルを日本の持ち込んだ非常に早い例として語り継がれています。アーケードアーカイブスで遊べる(以下略)

 以降「2」「レイヴレーサー」と続くリッジシリーズの超高クオリティのダンスミュージック、他方ではレイフォースの流れを組むテクノを基調としたゲームミュージック(サイヴァリアやライデンファイターズ等)など、テクノ好きにとってはここから2000年あたりまで革命ともいえるほどの時期を迎えています。たしかこのあたりから、ローリング内沢氏(ファミ通の編集とかしててXbox Insideにも出演してた人)が「ゲームとテクノは相性がいい」ってずっと言い続けてたんじゃなかったかな。
 余談ですが、僕が高校2年生の夏頃にレイヴレーサーが稼働開始し、それと同時にサントラが発売されたときの思い出。一足先に達名の常連で作曲もやってたWさんという人が手に入れており、大学の学園祭に行く道中聴こうぜ!という流れでWさんの車内で初めて聴きました・・・が、たしかにそれっぽいけどなんか音薄くない?と思い正直ピンときてませんでした。しかし後日自分でサントラを買って家のコンポで聴いてみると、ひっくりかえるくらい太い音の洪水で大興奮しましたね。このあたりから一気に高音質化が進んでいたのかな。

 そのレイヴが稼働開始したくらいに時期に、企業運営の巨大ホスト「NiftyServe」にアクセスするようになりました。草の根ホストとは比べ物にならないほど巨大なコミュニティを形成しており、話題ごとの掲示板に招待制のパティオという機能も備えていて、色んな情報がひしめきあっているまさにネット!という場所でした。
 そこ経由で、当時ナムコサウンドチームだった細江(めがてん)氏や相原(J99)氏等によって結成されたトルバドールレコードが運営していたホストにこっそり潜り込み、おなじみの綱島情報や、業界人たちが「じゃあ今度念力郵便(=自宅ポストに投函)します」とかいう書き込みを見て「なんか・・・なんかすげえな!」などと変なところで興奮したりもしてました。

 ところで沖縄市の当時のゲーセン事情なんですが、格闘ゲーム花盛りということもありこの30年の間で最も店舗数が多かった時期でした。沖縄市においてはコザ十字路と胡屋十字路の区間だけで大小あわせて30件くらいが現れては消えという状況です。
 僕が通っていた達人と名人の付近にも、昔からあった「サファリ」や十字路すぐにあった「バトルテックビート」、以前のお話に登場したポンキッキのおじさんが経営する「チャンプ」、その頃にはさすがにNEOGEOレンタルが無くなった「ロム」あたりが結構長いほうで、あとは突然バーチャファイターとリッジレーサー2と数台のアップライト筐体だけ置いて開店し半年で無くなった店とか、裏道に往年のインベーダーハウスのように現れて数か月で消えた店とかそんなんが無数に存在してましたね。
 あと胡屋十字路には、現在も多数のチェーン店を持つ「ジョイジャングル」がたしかこの頃にオープン。レイフォースを遊ぶために高校1年のときに通った「タイトーパセオ」(この店頭にあるクレーンゲーム「カプリチオ」の曲がすごく良いんですよ)、大型筐体も設置する「ハイテクセガ」が表通りにあるんですが、胡屋のアーケード街「一番街」の中にも無数のゲーセンがひしめき合っていました。諸見里のあたりにあったゲーセンはカツアゲされるから近寄るなっていう話は当時結構聞いたなあ。

 ただ、時期的にPSとSSが発売された時期でもあり、これまでハードウェア的になかなかアーケードに追いつけなかった家庭用ゲーム機のスペックが一気にその差を縮めだした頃だったので、アーケードで人気のゲームも半年ほどでどっちかのハードに移植されるでしょみたいな空気もちょっとあったりして、だんだんとその立ち位置を弱めていく最初の頃でもありましたね。

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