僕のオタク・サブカル思い出(21)

  高校生になってからもパソコン通信上でゲーセンとは別のコミュニティに出入りしていました。Sさんのホストから同じく沖縄県内の若い人があつまるBBSに移行し、比較的近所に住んでいたNさんという5つ上くらいのお兄さんとつるむことも多くなってきました。
 あまりにもライフステージに関係した話が多くなってくるので省略していくんですが、やれ「好きな子がいる」とか「こういうことで悩んでる」みたいなことはどっちかというと面と向かってない分ネットのほうが話しやすく、一応高校生らしい青春も多少はあったんですが当時としてはかなり特殊だったかもしれません。
 また、当時のホストのみんなでペンションを借りて泊まり込みで遊びに行くとか、みんなで海に遊びにいく、みたいなことも何度かありました。当然のように僕が一番年齢が下だし運転免許も持ってなかったんで、家が近い人のお力を借りつつ参加させてもらってました。ほんとみんな優しかったな。
 そういえばこの頃、初めて地元のBBSに接続したときに聞いていた「同い年の子」と会う機会がありました。同い年の視点でもめちゃくちゃ聡明で理路整然と話すタイプの、なんなら先輩なんじゃないかってくらい大人な感じの男の子でした。彼もその日以降交流を持ったことないけど、今何をされているんだろう。

 高校2年生くらいになると、地元のホストと並行して全国区の音楽系草の根BBSにアクセスするようになります。久しぶりに過去公開していた曲データの中のドキュメントを読み直して思い出しましたが「ゆいNET」というところでした。Wikipediaに載ってんの凄い!
 当時はPCで聴く音楽といえば「同じ機種シリーズで制作した内蔵音源で再生できるデータ」「同じモジュールを持ってる人が作ったMIDI演奏データ」のどっちかで、そのころは圧縮波形ファイルなんていうものはほとんど流通していませんでした(なにしろ保存できるのが1.44MBのフロッピーディスクか、100MB以上だとかなり高価になるHDDしかない時代だった) また当時のMIDI音源用の演奏データで人気があったのはポップスのコピー(当然ボーカルは入れられないのでカラオケ音源みたいなの)で、音源を持ってる人はたくさんのホストを渡り歩いてデータを収集してたんですね。

 僕もその流れで色々なホストを経由してゆいNETにたどり着いたんですが、そこではコピー楽曲だけでなくオリジナル曲を公開している人もたくさんいました。中にはテクノ系のカテゴリもあり、すでにトランスでその界隈で注目されはじめた人のデータもありました。僕もその頃にはレコンポーザの扱いに慣れてきて自作曲も作れるようになってきていたんで、「思い切って自分の曲を公開してみよう!」と、できたばかりの曲を登録してドキドキしながらログアウト。

 1週間しないくらいの間に、1通のメールが届きました。送り主はPOSEさんという方で、その人はパソコン通信だけでなくインターネットに自分のサイトがあり、そこで自分の曲を配信しているものの曲数が少ないため、よければあなたの曲を掲載してもいいか、という話でした。95年の中頃にはすでにインターネットの波が徐々にパソコン通信のほうにも押し寄せていたんですね。
 インターネットについては、その時の地元のホストのユーザーの間でも徐々にその話題が出ていたころでした。当時は検索サイトもYahoo!が本国アメリカで法人化したってくらいの頃で(Google登場以降のネットしか知らない人には衝撃かもしれないけど、あの頃の検索サイトは検索サイトに登録したサイトしか結果に出なかったんですよね)、周りではInternet Relay Chatを使ってるっていう人が現れだしたくらいでした。
 まだOSがMS-DOSしかない僕にとっては遠い世界の出来事ではあるけど、曲を評価してもらったうえ自分の知らないところで誰かが聞いてくれるかもしれないというワクワクがあったので「ぜひ!」とお返事。僕のインターネットデビュー、実は僕がまだインターネットに接続できない時期に起こったことなのでした。時代ですねえ。
 そのデビューの仕方が人任せだったのはおいといて、こんな経緯なんでおそらく「ネットにオリジナルのテクノを配信した最初期の日本人」に属すると思ってますが実際のところどうなんでしょう。ずいぶん狭い肩書ですけど、あの当時ゆいNET含めてパソコン通信で自作のテクノをアップロードしてたのって僕含めて3人くらいしかいなかったはずだし。

 以前に少しだけ触れましたが、当時はmp3も全然一般的でなく、大体は演奏データそのものを配信して同じ音源を所有している人がDLして楽しむものだったんですが、あの当時ゆいNETに自作曲を公開したら「SC88(僕が持ってたSC55mk-2の上位機種)でも再生できたので、ついでにリミックスさせていただきました」とご連絡を頂きました。
 これが人生初のリミックスされ経験なんですが、リミックスしてくれた人が「みらゐ」さんという方でして、もし僕の認識が間違ってなければ後に日本ファルコム→スーパースィープの石橋渡さんだったのでは・・・?という事なんですけど、実際どうだったんだろう。この件の繋がりを知ったのは亡くなられた後だったのと、当時のアーカイブが手元に無いので確証は取れてないんですけど。誰か当時のログ持ってないかなあ。

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