僕のオタク・サブカル思い出(15)

 中学生の後半あたりから「ストリートファイター2」の爆発的ヒットを景気に、ゲームセンターでの格闘ゲームブームがやってきます。中学を卒業する1994年くらいには沖縄市内にもかなりの数のゲーセンがにょきっと生えてきました。大小さまざまなゲーセンがあったことは確認してるんですが、当時の僕は学校内でじんわり浸透していた「ゲーセンに行ったらチクられる」という空気に気圧されて、地元のゲーセンにはあんまり立ち寄れていない時期でもありました(実際、以前の回で書いたポンキッキ等も店内にいるのを見られただけで「先生に報告するぞ」と同級生から軽い脅しをかけられ「店内で見たならお前も同罪だろ」と返したり)

 小学生の頃の時に書いてなかったんですが、僕は10歳だか11歳だかの頃に父に強制されてアマチュア無線の免許を取得しています。なんでも父の知り合いに「小学生で免許取った子がいて、それが沖縄では最年少だって話だから、お前にも取れるだろう」とかいうよくわからん理由でした。結構苦労して取ったけど3年くらいで使わなくなっちゃったなあ。
 ただ、基本的には車に搭載された無線機と自宅の無線機で「〇〇時に帰ります」みたいな報告に使ってたくらいなんですが、もうひとつの活用法として「遠出したときに個人行動が出来るように携帯無線機をもって歩く」てのをやってて、今でいうスマホの扱いで連絡とれるようにしていたんで那覇遠征の時は結構のびのびとゲーセンで遊んだりできていたのでした。この点だけは本当に助かりました。
 で、那覇市国際通り、那覇タワーに併設の立体駐車場を改装してできた「ファッションシティーMAXY」の地下階にセガの直営店があって、たしか1991年くらいの時点では伝説の大型筐体「SEGA R360」が稼働してました。SEGA R360はその名の通り360度(実際には縦横回転なので720? 1080?)回転するジェットコースターもかくやのびっくり大型筐体です。あんまりにもでかい上に特殊な筐体なので、稼働開始から半年くらいは「店員に500円渡す→店員がプレイヤーのシートベルト等装着を確認し、ポケットの中身を預かる(逆さになるので小銭や鍵が落ちる事例が多かった)→プレイ開始とともに店員が実況を始める」というのが通例だったと記憶してます。後に北谷町美浜の58号線沿い(今のくら寿司のところ)にあったテクモピアに移設されてるはず。今調べたら全国で150台しか配置されてなかったってことなんで、ナイトストライカーといい何故こんなレア筐体が沖縄にあるんだろう。
 ちなみに僕は当時の身長制限かなんかでプレイできなかったんですが、まあそもそも絶叫マシンが苦手なんで積極的に乗ろうとすら思ってなかったですね。それを横目にストリートファイター初代筐体(ボタンを叩くやつ)とか階段下においやられてた飛翔鮫とかやってました。
 ゲーセンとは関係ないんですが、このMAXYの上階に「ザバレス」というディスコがあったんですけど、James Brown is deadでジュリアナ系の曲にハマってた僕は当時出版されていた沖縄ローカルの漫画誌「コミックおきなわ」にザバレスの紹介漫画が載ってて「一度でいいから行ってみてえ~」と一方的に憧れてましたねー。

 もうひとつ多分レア筐体で、沖縄市にある県内唯一の動物園「沖縄こどもの国」に1990年「おきなわアイランドパーク」という遊園地がオープンし、翌年くらいに遠足でそこを訪れた際、園内のゲームコーナーでATARIの「S.T.U.N Runner」を発見しました。そうです、あのATARIのトンチキ日本語訳「コインいっこいれる」を生で見ることができたんですよ!あの当時ファミ通でその直訳過ぎる日本語訳が度々話題になっていたので、初めて筐体を見たときは感動したのと同時に、思ってたよりゲーム画面も筐体もカッコよかったのも感動ポイントだったなあ。実際ゲームも想像してたよりはちゃんと面白いし、未来感があってすごいわくわくした思い出がありますね。後年胡屋十字路のタイトーパセオに「ハードドライビン」が短期間ですが稼働してた時期があったんで、たぶん軍基地からの外国人を意識した入荷なのかなあ(そういえばモータルコンバットもありましたよ)

 この当時いった記憶のあるゲーセンだと、沖縄市と北中城村の境目にあるプラザハウスショッピングセンターの端っこにあるゲーセンかなあ。高台にあったので窓から見晴らしのいい景色が印象的だったなー。そこは建て直しにより1997年には無くなってしまいましたね。

 そんなこんなで、中学時代はテクノとネットという僕を形成する二つの要素に出会いましたが、このあとは高校受験を乗り越えてついに高校編です。ここでも人生の大きな転換点を迎えることになります。

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