僕のオタク・サブカル思い出(14)

  中学の頃まで、僕は物欲はあるけど自我はあんまりない、流されまくるタイプでした。幸い身体がデカかった(身長は低いが胸板が厚いので筋肉質っぽく見える)影響でヤンチャなのに絡まれることは少なかったものの、学校では地味かつ真面目っぽく過ごすだけの日々。
 部活は、兄が所属していた影響で一応サッカー部に籍を置いたものの全くついていけず、1年生の後半からは幽霊部員状態。勉強は一学年300人くらいの中で30位~50位くらいに留まれる程度にはやってたんですが明らかに数学と歴史がダメでパッとせず。普段はクラス内で中学の時から仲の良かったやつとゲームの話とか音楽の話なんかをしてやり過ごしてました。

 2年生の2学期末頃、同級生の男子2人から声をかけられ「これ吹いてみて」と、唐突に金属で出来た謎の物体を渡されました。
「これ、マウスピースっつってトランペットとかを吹くときに使う道具なんだけどさ、これを口に当ててブーッって唇震わせて音出るかどうか、やってみてよ。」
 よくわからないまま吹いてみると、低い音でブブーっと音が出ました。それを見た2人が僕の腕をつかんでニヤリと笑い「よし、今日から吹奏楽部だ!」などと言って僕の意見も聞かずにそのまま音楽室に連行されます。
 先ほど吹かされたのは金管楽器でも低音部を支えるチューバ用のマウスピースだったんですが、先輩が受験のため部を卒業したことでパートに穴が開いてしまい、暇そうでかつ大きい楽器を支えられそうなガタイのいい男を探していたのです。完全に不意打ちで音楽室に連れてこられたものの、二人から事情を聞いて頼み込まれたことと「お前サッカー部全然行ってないんだろ、でも部活やってた方が受験に有利じゃん?」という説得に負け、その日から吹奏楽部に所属することになりました。

 さて、吹奏楽部ということは楽器演奏するってことなんだけど、いや僕全然楽譜とか読めないんだけど・・・と不安を漏らすと「いや大丈夫、やってりゃなんとかなるから!」と先ほどの2人は細かいところは完全に丸投げ。そして低音部のパートは当然面識もないチューバ担当の同級生女子とコントラバスの下級生女子の2人。全く楽器演奏の経験がないのに部活に最初から後輩が居るという特殊環境もあり、どちらも結構親切に教えてはくれたけど、そもそも基礎から全く解ってなかったので「こりゃこのままだとみんなに迷惑かけちゃうぞ」というプレッシャーもあってしばらく四苦八苦の日々。

 その状況を早いとこ打開するにはまず楽譜の基本を自主的に学ぼう!ということで、活用したのが「小学生の時の音楽の教科書」(物持ちが良いで残してあった)なんですが、ここでもう一つの勉強方法として取り入れたのが「MML」。
 MMLは「Music Macro Language」の略称で、要するにプログラムとしてPCに演奏させるための記述方法です。当時読んでたベーマガでは古代祐三(「イース」「ベアナックル」「アクトレイザー」等を手掛けるレジェンド級ゲームミュージックコンポーザー)がMMLを掲載するなどしていて、PCで曲を演奏出来ることは知ってたんで「じゃあそっちで打ち込んで音を確認してみよう」ということで、普段の部室では同パートの女子から教えてもらい、家ではマニュアルと音楽の教科書と楽譜を交互に読みながらN88-BASICのMMLで自分のパートの音を演奏させて音を確認するという生活を3か月ほど続けていくうちに、なんとか楽譜を見るだけで演奏できるレベルまで到達でき、無事に卒業まで吹奏楽部を続けることができました。この時の経験が高校生以降の作曲活動へと繋がっていきます。

 その頃の音楽にまつわる思い出がもうひとつ。中学では毎年秋ごろに校内合唱コンクールが開催されるんですが、当時B'zにハマっていたクラスメイトが「おれもB'zになりたい!」と言い出し、その時のお小遣いを全てはたいてYAMAHAのMG-M2(青いボディでおなじみ松本孝弘モデルギター)を購入しました。そして別のクラスメイトを誘って「合唱コンクールで全クラスが終わったあとの採点の時間が10分くらいあるから、そのときにライブしようぜ!」と言い出しました。もちろんその時点では彼はギターなんて弾いたことありません。
 当日2人はいったい何をやるんだろ?と思いながらコンクールに参加し(あ、関係ないけど僕はこのとき音楽の先生から「独唱をやれ」と言われて一人でカンツォーネを歌わされたりもしましたね)、放送室から「採点を行いますのでしばらくお待ちください」のアナウンスが読まれた直後、ステージ横から「ここからは俺たちの出番だー!」との声。そして流れてくるギターの爆音と共にステージ上に躍り出てくる2人。2人はその当時リリースされたばかりのB'zのライブビデオ「JAP THE RIPPER」の冒頭をテープに録音して流しながら、B'zのパフォーマンスを当て振りしだしたのです。会場内は爆笑を含む大盛り上がりで、最後は万雷の拍手で去っていきました。あれはなんというか、カッコよかったなあ。

 ・・・すみませんもう一つだけ。当時兄が安いエレキギターを買ってたんでうちにもあったんですが、同じクラスに電子工作が得意な子がいて、なんとなく「ギターのワイヤレスシステムあるじゃん、あれって自作できるの?」って聞いたら「できるよ。FMトランスミッターを使えば簡単。」とあっさり答えてくれたので、その当時既に画面に無数の縦線が入ってしまいゲームができなくなっていたゲームボーイを渡して「中身くりぬいていいから、これ使って作れる?」と聞いたら二つ返事でOKしてくれました。
 沖縄で電子工作パーツを扱うお店といえば、中部住みには「沖縄電子」というショップが代表格でした。数年前まで国道58号線沿いに店舗があり、父が趣味でやってたアマチュア無線の機器を買いに行くときについていっては、電子パーツや同人パソコンパーツなどが並ぶショーケースを眺めていたんですが、彼はそこに足繫く通っていたようで、その話ができるんなら間違いない!と彼にゲームボーイをお渡しして1週間ほど経過。
 そうして出来たワイヤレスシステム、画面を取り払って剥き出しの基盤が見えるようにし、電源ランプと電源スイッチは生かしたまま、筐体下部のイヤホンジャックをくりぬいてケーブルが伸びる、非常にパンクな仕上がりになってメチャクチャにカッコイイ物を作ってくれました。しかも「製作費1,000円でいいよ。材料費はもっとかかってるけど、こんな楽しい工作初めてだったわ!」と彼も大満足。これも30年前の話で、気が付くと現物はすでに失われてしまっているのですが、ゲームボーイの初代筐体を見る度にその事と彼の笑顔を思い出しますねえ。

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