僕のオタク・サブカル思い出(0)

  神野オキナさん著「沖縄オタククロニクル」を読みました。神野さんは1970年生まれで僕の8歳上、ひと世代くらい上の先輩です。記されている話の序盤部分は僕がまだ生まれていない頃でした(作中にもある、沖縄の車道がアメリカ式の右側通行から日本の左側通行に切り替わるナナサンマル運動のあった1978年7月に僕は生まれました)

 1歳上のうちの奥様と一緒に読んでるんですが、神野さんが多感な時期を過ごした那覇市の国際通り近辺は、それ以外の地域に住むオタクからすると最先端の遠い街という印象が強く、また先輩のお話ということもあり、出てくる風景は僕の知らない場所が多くあって、そういう意味でも「そんな時代があったんだ!」という発見があります。神野さんが高校生の頃の話として書かれている沖縄最初期の同人サークルの話も「VAIOは知ってるぜ!小学生のとき聴いてたラジオジャックでイベントの告知してたよ!」というレベルで世代間格差があります。

 ところで、僕も結構いろんな界隈に首を突っ込んだオタクでしたので、過去に個人ホームページやブログやSNSで時にリアルタイムに、時に思い出話として結構な量書き散らしてきました。そういうこともあり、奥様から「これ、あなたの思い出もなんかまとめておいたほうがいいんじゃない?」と提案されたのでした。
 単に触発されたので書く、というのでも立派な動機だと思うんですが、僕ら世代のオタクが神野さんの本の補完(という体の真似っこ)として思い出話を書くことには結構な意義があるんじゃないかと思うんですよね。

 まず、世代が違うと「オタクが好むモノの傾向に変化がある」という点です。神野さんの本で取り上げられているものの中心は「本、アニメ、漫画、造形(模型)」ですが、僕ら世代はそこに明確に「ゲーム」が加わります。70年代後半~80年代前半産まれにとって、ゲームはオタク文化の中でもトップクラスに急成長した分野であり、特に76~80年産まれはゲームの進化の歴史をリアルタイムで目の当たりにしたデジタルゲーム・ネイティブと呼べる世代です。
 また僕はちょっと特殊なんですが、中学の頃にインターネット以前のパソコン通信を始めたことで別のコミュニティを見る事もできました。これについては結構レアな体験だと思うので残しておいたほうがいいかなあと。

 そんなわけで、都市部である那覇市近辺以外に住む田舎者の僕らに、いったい何が起こったらオタクなんて生き方を選択するに至るのか?そしてどうやってコミュニティを形成していったのか?という視点も必要だろうって話。何しろテレビ朝日系列のQABが95年に開局するまで民放が2つでアニメも平気で途中打ち切りになるような環境だし、ただでさえ情報過疎で物資不足の沖縄のさらに中部・北部では頼みの綱の書籍すら満足に配給されないという状況です。そんな中でもオタクは食パンひっくり返したらぽつんと繁殖してるカビのようにしぶとくコミュニティを作って広げて行こうとしていました。当時の時代背景も交えつつ、僕の備忘録として書いてみようと思います。

(1)へ続く